特別列車〜走る執務室〜
 
 
金正日(김정일/キムジョンイル)書記が咸鏡南道の現地指導から戻り、平壌市内を見てまわっていた1981年8月13日のことだった。
書記はそばにいる幹部にこの様な話をした。

「主席が現地指導するたびに利用する列車に一度乗ってみたが、あまりにも質素に作られており、また、ひどく揺れます。
主席にとって現地指導は、慣習化された生活です。
年齢が高いのに、これまでずっと良くない列車に乗って現地指導しているが、私は今までそこに深い関心を寄せませんでした。高齢の主席の活動に便利なように列車を作ることができなかったのをみると、私の孝心が足りないようです。
私は今からでも、世界で最も素晴らしい列車を作ってあげようと思っています。」

書記の自責の言葉に幹部は衝撃を受けた
主席の列車を利用しても主席の不便を推しはかって、世界で最も素晴らしい列車を作ろうとする書記の孝心は本当に並外れている

彼らは何回も主席の列車に乗りながらも、車内が寒ければ外の天気が寒いのだから仕方がない、暑ければ夏だからどうしようもないと考えてきた。また汽車が揺れても路盤のせいだろうと思っていた。
だが孝心が並外れている書記は、それらすべてのことが自分の孝心が足りないからだと後悔するのだった。


それから書記は列車の作り直しに着手した。1981年の夏は書記は列車を作ることに専念した。
このことが主席に知られ主席は極力反対した。二人の間では、列車を作る問題について次のようなやり取りが行われた。


「主席が乗る列車を新しく作ろうと思います。今の列車は作ってから長く経ち、もう古くなりました」

「私が乗っている列車を作り直そうとしているが、そんな必要はありません」

「他のことができなくても、主席が現地指導するとき楽に乗って行ける列車だけは必ず新しく作らなければなりません。外国を訪問するときにも、新しく作った列車に乗って行かなくてはなりません」

「私は今の列車に乗っても、外国をいくらでも訪問できます」
「主席が引き止めても、列車を作ることだけは主席の意にしたがうことはできません」

主席との面談後、書記は生まれて初めて主席の意にしたがえない自分が心苦しかった。
でも主席の安寧と関連したことは少しも譲歩することができないので、列車を新しく作る決心を固めたと語った。


書記は自分の決心を撤回せずに、冷暖房装置を付け、列車の中で執務も会議もでき、昼食もできるよう立派に作って欲しいと関係者たちに心から頼んだ。



書記が列車を作るのに砕いた誠意がどれほどであったかは、1982年9月中旬のその列車を使っての中国訪問で分かる。

丹東駅から北京駅までの長い路程のなかで、列車は儀礼行事のために何回も停車したが、主席は駅の貴賓室には一回も滞在せず列車の面談室で歓迎の人たちと会見した。
中国共産党中央委員会総書記の胡耀邦は一ヶ月前から列車が止まる中間の駅などに、しゃれた貴賓室を整備して主席を丁重に迎える督促を重ねた。
しかし主席が主に列車面談室で会見をしたいという通報を受け、彼は主席が乗った列車が北京に到着するや鉄道相に、列車がどのように作られているのか調査するよう指示した。

指示を受けた鉄道相は、われわれの案内員たちに事情を話して列車面談室と食堂を見てまわり、総書記に電話で「走る執務室」と報告した。


その後もこの列車にまつわる数多くのエピソードが生まれた。

中国訪問の2年後、1984年5月6日からの約50日間、主席は旧ソ連、ポーランド、東ドイツ、チェコ、ハンガリー、ユーゴ、ブルガリア、ルーマニアを公式親善訪問した。
機関車生産で最高といわれるヨーロッパの人たちのわが特別列車にたいする反響はとても興味のあるものだった。

旧ソ連の国境駅ザバイカルスクへ到着すると、モスクワから来た高位幹部たちが主席を出迎えた。ザバイカルスクを出発した列車はシベリア極東地方を過ぎ、モスクワに向って疾風のように走った。
ヘリコプターが列車について飛び、特別列車が通過する全ての駅と道路交差点ごとに安全部員たちが立ち、主席の身辺を警護した。
特別列車に乗った安全部員たちは、無線電話で飛行士や駅の関係者たちとこんな会話をよくしていた。

もうすぐ『彗星』が現れる。最大限緊張しろ

われわれの随員たちが安全部員たちに「彗星」とは何を意味するのかと聞くと、彼らは「この列車はわれわれの列車よりとても明るい。広大な平野を疾走する特別列車はまるで彗星のようだ。だからわれわれはこの特別列車を『彗星』と呼ぶことにした」と言うのだった。


これはまた心の躍る話だった。

特別列車はポーランドの国境都市テレスポールに到着した。
出迎えたポーランドの安全部員たちは特別列車を「」と呼んで無線を交わしていた。われわれの随員たちがなぜ「虹」とよぶのかと問うと彼らは「特別列車は虹のように奇麗に作ってもあるが、アジアの端からヨーロッパの端まで横断して親善の虹をかけたので、虹と名づけずにはいられない」と言うのだった。

真昼の空にかかる美しい虹になぞらえることもできるし、夜の空に素晴らしい閃光を放っている彗星になぞらえることができるのは、書記の孝心であろうか。
特別列車に込められた説話は、そのまま虹や彗星のように美しくきらめく書記の孝心の胸躍る賛歌である。

 
目次   /    戻る   /    次へ