仮借なき処罰〜憤怒の極限点〜
 
 
1966年末にわが国代表団の一員として中国を訪問したある幹部は、帰国するやこのように語った。

「今回、周恩来総理と会った。かれは最近社会主義農村問題に関するテーゼの翻訳事業を組織し、翻訳されしだい読んでいたのだが、われわれを見て『あなたがたはいいものを持っているのに自慢することを知らない』と言った」

これは、なぜ金日成(김일성/キムイルソン)主席が執筆された「わが国の社会主義農村問題に関するテーゼ」を世界各国の言葉に翻訳し、広く宣伝活動しないのかという問いだった。
周恩来総理といえば、中国の党と国家の指導者であり、国際共産主義運動と労働運動の活動家の一人だ。
名前の知られた政治家が金日成主席の労作を部下に翻訳させて耽読するということは、私をはじめとする国家の対外活動担当者らが仕事をちゃんとやっていないことを物語っていた。

立派なものを持っていながらも自慢することをしらないという周恩来総理の言葉に深い呵責の念を覚えた幹部は「わが国の社会主義農村問題に関するテーゼ」をはじめとする主席の労作を翻訳出版し、外国で普及させる問題を党中央委員会に提起した。

1967年1月はじめのある日、彼は党中央委員会国際事業部の責任者から、思いがけない電話を受けることとなった。
責任者は「たった今君達から提起された問題について考えてみた」といいながら、このように「指示」したのだった。


「この問題は当分保留にしなさい。まだ時期が早い」

「時期尚早とは?!・・・」納得がゆかずすぐに聞き返すと彼は答えた。

「なぜそんなに考えが狭いのか。大国もまだ打ち出せずにいる農村テーゼをわれわれのような小さな国で発表したと自慢すれば喜ぶか?恐らく喜ばないだろう」

「他人が打ち出せなかったものを発表したのだから、これこそ誇りだろう。他人が良いと言っているのに、時期尚早とは納得がいかない」

「口論は止めよう、指示通りにやれ。まだ時期尚早だ」

「いや違う。時期尚早ではない・・・」


言葉をつづける暇もなく、相手側の受話器を切る音が聞こえた。再び交換手を呼び出し相手を探したが応答はなかった。
一時、党中央委員会宣伝部の指導員として仕事をしたことのある彼は、相手のこうした姿勢が何を意味するのかはうすうす気づいた。

仕事は手に付かなかった。この問題は、労作を翻訳出版したり、対外的に宣伝するかしないかという単純なものではなく、主席の絶対的な国際権威を擁護するのかどうかという思想問題だった。
実務的な問題であれば1、2歩の譲歩はできるが、思想問題においてはただの一歩も譲歩することができなかった。思想生活における一歩の譲歩は百歩の譲歩につながる。それは正常な生活からの逸脱を意味した。

電話で金正日(김정일/キムジョンイル)書記を探すと、部屋にいなかった。
やっと夕方になって現地指導から戻ってきたのか電話に出た。

幹部が電話では詳しく話せないので「今すぐ会って話したいことがあります」と言うと「では正門に出て待っていなさい。食事に行くときに寄りますから」と言って書記は受話器を置いた。
玄関に行くとすでに書記の乗った乗用車が金日成広場を過ぎ近づいてきていた。

駆け寄ってすぐに部屋へ通そうとしたが、書記はその必要はないと、彼を車へ乗せた。しばらく車はチャンジョン通りを走り、清流壁の前で止まった。清流壁に住みついた鳩が車の音に驚いてか、いっせいに空へと飛び立って行った。
書記は青空へ飛び立った鳩の行方を目で追いながら長い時間、彼が電話で受けた「指示」について耳を傾けていた。
話が終わるや書記は黙ったまま車に乗り込んだ。
彼もその後に続いた。車は来た道を引き返し、牡丹峰に登って東平壌が一望できる場所で止まった。

書記は夕日に染まった東平壌一帯を見渡しながら、何日か前にも例の責任者は協議会を指導する場所で「金日成の歌」を対外的に宣伝する問題に異議をとなえ、「他の人々が平和の歌をうたえばわれわれも平和の歌をうたい、他の人が平和の踊りをおどればわれわれも平和の踊りをおどらねばならない」と言ったと語った。

書記はすでにすべてのことを知っていた。

「領土が大きいからといって偉大な国になれるわけでもなく、党員が多いからといって偉大な党になれるわけでもなく、人口が多いからといって偉大な人民になれるわけでもありません。領袖が偉大であれば国も偉大であり、党も偉大であり、人民も偉大なのです。
偉大な領袖は、人口が多く領土が広く党員が多いからといって生まれるわけではありません。小さな国であっても歴史発達において切実に解決を要する時代の先鋭な問題が集中しており、またそれを解決する千里炯眼の英知非凡な洞察力卓越した指導力と徳望を備えた偉人がいれば、いくらでも偉大な領袖が生まれるのです。わが領袖はまさにそうした人物です」

ここでしばらく話を中断した書記は、主席の偉大性について次のように語った。

「青年時代にわが時代を代表する新しい思想であるチュチェ思想を創設した主席は、チュチェ思想に基づいて世界歴史上初めて植民地民族解放革命の前途を明らかにし、反帝反封建民主主義革命と社会主義革命の手本を作り上げ、社会主義、共産主義建設の進路を開拓しました。
いま社会主義を建国する国において、工業管理と農村問題解決の正しい道を探し求めることができず右往左往しているときに、主席が創設した大安の事業体系と社会主義農村問題に関するテーゼは、世界各国の指導者の耳目を集中させています」

いつも主席の権威を最高の水準で絶対化する書記は、松林の中をゆっくりと歩きながら言葉をつづけた。

「あなたもインドネシアに行って目撃したように、スカルノは新しく育成した美しく珍しい花を、主席の名にちなんで『金日成花』と名づけて進呈し、主席に向って『金日成主席の権威に比べれば、朝鮮の領土が小さいのが残念です。しかし金日成主席は世界を動かすのだから、世界を領有していると言っても過言ではありません』と語りました。スターリンはすでに抗日武装闘争時期に主席を『将軍』と、祖国解放戦争時期には『偉大な英雄』と激賞しました。
そして1957年11月にモスクワで行われた各国共産党、労働者党代表の会議においても党代表たちは兄弟国、兄弟党が完全に平等と互恵、民族自主性の尊重と内政不干渉および同志的協調の原則を守るべきだという主席の原則的立場に全面的な支持、賛同を表明しました。いま世界の多くの指導者達は主席を世界革命の領袖として称えています」

書記は「主席はわが人民の領袖であるばかりでなく、人類の領袖である」と述べながら次のように言葉をついだ。

「われわれはこのように偉大な領袖を戴いていながら、あまりにも誇りとすることを知らなすぎます。
主席の労作を翻訳出版し、対外に宣伝するのはまだ早いと主張する『時期尚早論』の提唱者たちは、党と同床異夢する反党派分子です」

言葉だけを聞いても歯ぎしりする分派という言葉がでるや、幹部は気持ちを強く引き締めた。
緊張して次の言葉を待ったが、しかし書記はそれ以上一言も語らなかった。



それから何ヶ月かすぎたある日のことだった。ちょうど党中央委員会第15回総会で、党内に潜り込んでいた反党修正主義者を暴露し、粉砕し、その禍根を取り除くために全国的に思想闘争が繰り広げられていた時期だった。
活動報告するために書記を尋ねた幹部はこの日、長い間にわたって思想闘争会議をと関連した貴重な話を聞くことができた。

「反党分子たちが狙う目的は政権です。分派分子たちは政権欲を満たすまでは決して分派行動を放棄しません。想闘争や教育方法だけでは分派分子たちの政治的野心を根こそぎにすることはできません。雑草は根こそぎしない限りまた芽を出すように、分派分子たちも党内から除去しない限りまた首をもたげてきます。歴史的にわが党内においてもっとも憎むべき敵は、ほかでもない<反党反革命分派分子たちでした。反党分派分子たちには寛容は不必要であり、ただ仮借なき懲罰だけが必要です」

そしてあの「時期尚早論」者たちも例外ではないと語りながら、彼らを党内から除去すると断固と明言した。

激怒した書記の声は部屋中に響いた。

それからしばらくして、主席の権威に対してあれこれと口を挟んできた例の「時期尚早論」者はむろん、その追随者たちも党内から追放された。

幹部たちが書記に会うたびにそのつど受ける強烈な印象は、いつも明るい微笑を浮かべた慈愛深い人情味だった。その人情味に接すれば、錯雑とした心の中にも人知れず美しい花畑が広がり、歓喜の波が押し寄せてくるのだった。
しかしこの日は、初めて憤怒の極限点に達した書記の姿を見た。その憤怒は世間の人が憎むものを見て歯ぎしりする程度のものではなかった。あたかも憤怒の叫びは雷鳴のように峻烈で、刃のように鋭かった

金日成主席の権威についてあれこれ言うものたちに対しては、雷鳴のように峻烈に断罪し、刃のように仮借なき懲罰を加える。
まさにここに、書記の忠孝の高さがある。

 
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