背広と戦闘服〜若さを差し上げたくて〜
 
 
祖国の至る所を現地指導する金日成(김일성/キムイルソン)主席はまた、外国訪問も絶え間なく行っていた。

1984年のある日、ヨーロッパ訪問に出発する主席を見送った金正日(김정일/キムジョンイル)書記は主席を乗せた特別列車が見えなくなってもしばらく動かずに考え込んでいた。

「私は今日、本当に思うところが多いです。我々は主席を立派に戴く事が出来ませんでした・・・」
「主席を歓送するために出てきた幹部たちは皆背広にネクタイを締めていました。しかし主席は5つボタンの服を着て外国訪問に出発しました。主席<は外国に行って数多くの国家首班たちと会う事になるのに、唯一わが主席だけが5つボタンの服を着ていると考えると胸が痛みます。我々に何が足らなくて主席に背広を準備してやれなかったのですか」

ここで少し黙り込んだ書記は、こう言葉を続けた。

5つボタンの服は『戦闘服』です。主席だけは生涯『戦闘服』を脱ぐ事が出来ませんでした。外国訪問に発つこの瞬間まで『戦闘服』を脱がせられなかった我々の罪は大きいのです」

振り返れば主席は白頭山の吹雪の中で日本帝国主義を打ち砕くときも、祖国解放のため米帝国主義を打ち砕くときもカーキ色の軍服を着ていた。ほとんど半生を軍服を着て革命をしてきた主席は、戦後はもちろん今日も軍服と変わりない5つボタンの服を着て、朝鮮革命と世界革命を陣頭で導いている。書記はまだ『戦闘服』を脱がしてあげられないのを最も大きな罪として、自責の念に駆られているではないか!!

書記は「私は今回、主席がヨーロッパ訪問から帰ってきたら、すぐに背広とネクタイを締めて休み休み仕事をするように話すつもりです」と言って車に乗った。

その後書記は若さが目立つ背広をきちんと準備し、赤と黒の地に小さな白い班点があるネクタイを誠意を持って準備した。
主席がヨーロッパから祖国に帰り、その報告総会が終わった後、書記は休憩室で主席に語り掛けた。


「主席、ヨーロッパ訪問中に私たちが背広とネクタイを準備しておきました。主席が背広を着ればひときわ若く見えます。いま人民たちは若返った主席の姿を見たいと思い、私もそう思っています」

「ありがとう。でもいま着ている服は私の体になじんでちょうど良いのですよ」

「主席・・・、5つボタンの服は『戦闘服』です。主席が生涯『戦闘服』を着て仕事をしているので、こんにち人民たちは誰もが皆、背広にネクタイを締めて幸せに生活しています。主席の誕生72周年が過ぎた今日まで『戦闘服』を脱がしてあげられない我々戦士達の罪は大きいのです」

人民のためにやらなくてはならない事がどれほど多い事か。私には体になじんだ『戦闘服』がいいのです」

「主席!私が主席に代わって生涯『戦闘服』を着て人民のために誠実に働きます。だから主席だけはぜひ、背広にネクタイを締めて休み休み仕事をしなければなりません。私は全人民の思いを込めて、主席が背広を着ることを切実に願います」

「ありがとう!ありがとう!組織担当書記(注:金正日)がどうしてもと言うなら背広を着よう。だが心の軍服だけは脱ぐことは出来ない・・・・」


世界には忠孝心に対する話が、夜空の星のように数え切れないくらい多い。だが書記のように主席に若さを差し上げたくて背広を作り、主席の万年長寿のために代わって『戦闘服』を着、情熱的に仕事をしたいという話がどこにあるだろうか!

それから主席は対外活動はむろん、現地指導をするときもいつも背広を着るようになった。

そして、書記が準備した若さに溢れる背広を着てひときわ若返った主席の姿を見たとたん、全朝鮮人民は「ああ、主席。生涯苦労した主席!20年は若返りなされた!」と喜びの涙を流した。

全朝鮮人民だけではなく、外国の友人たちも「朝鮮には金正日閣下がいるから仕事がうまく行き、金日成主席は日に日に若くなっていく」と喜んだ。

主席も「なぜか近頃は私の心も青春時代に返ったみたいだ」と語り、それを聞いた書記は「私の心は即ち人民の心です。わたしはどんなに嬉しいか分かりません。もっと早く、主席が背広を着るように頼んでいたらよかったのにと思います。主席が背広を着るとその人品がさらに偉大でひときわ目立ちます」と喜んだ。

しかし主席は公の場で背広を着るようになった後も、5つボタンの服の方が活動的で便利だと言って、普段は以前の服で執務し続けた。

その報告を幹部たちから受けた書記は「本当に主席は人民のために生まれてきた人だ。主席のような人はこの世にはいない」と言って言葉をつまらせた。そしてゆっくりと部屋の中を歩きだした書記をよく見ると、いつも明るい書記の目がうるんでいた

この世に忠孝の涙があるとすれば、これより価値のある涙がどこにあるのだろうか。

書記は「主席は体になじんでいるからだと言っているが、実は人民のために一つでも多くの仕事が出来るように5つボタンの服を着ているのだ」と言い、主席にあらためて「背広を着て、これ以上老いることなく永遠にいらっしゃることが朝鮮人民と私の願いです」と電話で伝えた。

受話器を置いた後も書記は長い間沈黙し、その日は「我々はこの服(ジャンパー)を生涯脱いではならない」と一言発しただけだった。

 
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