母との永訣〜心の支え〜
 
 
1458年4月の春は、山にも花、野にも花、道端にも花、どこに行っても花畑が広がっていた。

やがて社会主義楽園に入ることになるわが人民の心も花の海となってなびいていた。

意義深い4月の祝日(注:15日の金日成誕生日)を何日目かに控えたある日の朝早く、幹部が金正日(김정일/キムジョンイル)書記の部屋に入ると書記は拳銃の分解掃除をしていた。油雑巾で掃除をした後組み立てた拳銃は、ポケットに入る小さな物で、着色された部分がだいぶ剥がれているところから、数々の苦難を経てきた拳銃であることがすぐに分かる。しかしどれほど丁寧に拳銃を扱ってきたのか、すべすべして艶があった。


「深いいわれのある拳銃のようですね」
「この小型拳銃は母が私に残した形見です」


そして書記は、忘れられない日々の追憶に浸るかのように深い思索にふけりながら語りはじめた。



解放直後のある日のことだった。警備隊の射撃場を見てまわりながら射撃座に着いた金正淑(김정숙/キムジョンスク)女史は、拳銃を手にし射撃準備を終えた。ピカピカと光る拳銃を目にした幼い書記は、拳銃を撃たせて下さいとせがんだ。女史は弾丸を取り出した後、照準のあて方を教えながら書記にこう語った。

「目標を定めることなくあてずっぽうに初めての射撃をしてはならない。大きな志を持って初めての射撃をしなさい。お母さんは抗日武装闘争の時、将軍にしたがって最後まで革命をする決心をしながら、日本帝国主義者をなぎ倒しました。私はその日に誓った言葉を守り、この拳銃にしっかりと握りしめ身を挺して将軍をお守りしてきたのです。おまえも早く大きくなって、この拳銃でしっかりとお父さんを守りなさい。私はお前がお父さんのように立派な将軍になることを願っているのです」

小さな胸に大きな志を抱いた幼い書記は、その後毎日のように女史から射撃方法を学んでいった。



女史の病気が非常に重くなっていった9月21日、主席<は黄海道菟山地方に現地指導に出かけた。

女史はいつものように門の外まで主席を見送り、幼い書記に鞄を背負わせて幼稚園へとせきたてた。体が非常にだるそうな女史を見て「お母さん、今日だけは家に居させて下さい」と書記がいうと、「お母さんの事を心配するお前の気持ちは分かった。しかしお母さんの病気は、お前が勉強を一生懸命すればそのうちに治るから、心配せずに早く行きなさい」と手を振って送り出した。

部屋に戻り仕事を始めた女史に我慢できない苦痛が体全体を襲ったが、仕事の手を休めることはなかった。そしてとうとう、ひどい苦痛に耐えきれずその場に倒れ込んでしまった。

副官たちが女史の危ない病状を、主席と幼い書記に知らせようとするのに気づいた女史は、それだけは止めるように強く頼んだ。

「知らせないで。いま楽しく勉強に精を出している最中なのに・・・将軍にも知らせないで下さい。私がちょっと痛いからと言って、将軍の仕事に支障をきたしてはなりません」
何もせずにただ座ってはおれないと考えた副官は、長距離電話で主席に急を知らせた。主席は現地指導から戻り、夕方になって幼い書記にも母が危篤になり病院に運ばれたことが知らされた。
すぐさま病院に走って行こうとする書記は、親戚の人に押し止められてとうとう行けなかったが、その姿をかわいそうに思った親戚の一人が、病院から病状を知らせてあげると言った。書記は電話の側にぴたりと寄り添いお母さんの消息を待ち続けた。夜になり日付が変わっても電話は鳴らなかった。ようやく午前3時近くになって電話がかかってきたが、受話器からはむせび泣く声が聞こえた。

「お母さんが・・・お母さんが亡くなった」

幼い書記はそのことが信じられなかった。主席に従って妹と共に党中央委会議室に安置された母の柩を訪れたときも、母と永久の別れをする朝になっても、亡くなったことを信じられなかった。

女史の柩を乗せた馬車が牡丹峰に向って出発するときになって初めて、幼い書記は二度とお母さんの優しい姿に会えなくなることを知って鳴咽した。
それからは、悲しみに耐え切れなくなるたびにお母さんの部屋に駆けて行き、残された小型拳銃を胸に抱きしめて、天と地が裂けんばかりに泣き叫んだ。流す涙は悲しみの川となって拳銃ホルダーの上に流れ落ちた。



幹部の頬には熱い涙が雨のように流れていた。
書記はかすれた声で続けた。

「私はその時に母と永訣し、遺言通りにこの拳銃で主席を守り、高く戴いていこうと固く誓った。
今も私は母の命日や主席の誕生日には、このように武器の掃除をしながらあの時の誓いに少しでも埃が付いていないかと、気持ちを引き締めるのです。私はこの拳銃をいつも心の奥深くしまい込んでいます。この拳銃は主席を立派に守って高く戴こうという心の永遠の支えです」

そして「この拳銃を心の支えとし、主席に立派に仕え主席の偉業を最後まで完成させていこうと思っています」と語り終えると、拳銃を赤い布に包み、拳銃ホルダーに入れ、丁寧に箱の中にしまった。

小型拳銃。それは書記が女史から受け継いだ高貴な革命遺産だった。

今もなおその由緒深いその拳銃は、書記によって丁重に保管されている。書記はたびたびその拳銃を撫でながら、朝鮮の太陽であり人類の太陽である主席の高い志を心に刻み、チュチェの革命偉業を最後まで完成させる熱い思い忠孝の心を燃え立たせている。

 
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