一人で明かした夜〜後日談〜
 
 
前回あらすじ

インドネシア訪問のため中国昆明市を経由した主席一行。
インフルエンザのくせにオープンカーに乗り高熱でダウンした主席を徹夜で看病するため、金正日書記は長い夜をコーヒーのがぶ飲みで乗り切るのであった・・・



その朝、医師の診察を受けた金日成(김일성/キムイルソン)主席は応接室にくると、まだ体が言うことを聞かないにもかかわらず「熱が下がったので体が軽くなった」と笑った。

金正日(김정일/キムジョンイル)書記は主席に言った。


「不自由な体ですぐに出発されずに一日か二日ここで治療され、回復された後にゆっくりと出発しましょう」

「少し疲れても行かなければ。訪問国では行事日程をすべて立てて待っているのに、行かなければどうするのですか。病気がこれ以上悪くなることはありません。意志が強ければ病気もどこかへ逃げていくものです」

「一日だけでも休まれて発ちましょう。これは私だけでなく随員全員のひとしい願いです。この状態のまま出発すれば私たちは本当に安心できません」

「私も君たちの気持ちはよく分かります。治療をして行けば体のだるさはましになります。しかしインドネシア人民たちがわれわれを待っています。なすべき多くの仕事もすべて後回しにして出発したのに、このように途中で足踏みすればどうなるのか・・・」

「主席・・・」

「まだ熱はあるが、気温の高いジャカルタで汗をかけば、熱が下がって病気が良くなることもあるでしょう。人が病気にかかれば薬を与えなければならないが、最も良い薬は意志です。私は我慢するので、みな笑いながら日程通りに出発しましょう」


主席の決心は固く、出発するほかなかった。皆は出発準備のために応接室を後にした。
主席は幹部を呼び、昨夜は何かあったのか、なぜ書記の顔色が蒼白なのかと尋ねた。昨夜の出来事を聞いた主席は、出発準備を急ぐ書記を深いまなざしで見つめながらこう語った。

「昨晩、私の熱は相当ひどかったようですね。金正日同志が私の健康が心配で夜を明かしたというが、私はそのことも知りませんでした。彼の真心に感動します。彼は私の健康のためならば、百日でも徹夜しあらゆる手を尽くすでしょう」



早朝4時30分、特別機は昆明を出発してジャカルタに向った。
主席は側に座った副官に、書記を見やりながら「昨夜無理をして夜を明かして疲れているだろうから、側にいって異常な気配が見えれば知らせるように」とささやいた。
副官は困った表情をした。実は飛行機に乗るとき書記から「主席はまだ熱が下がらないので側でよく見守り、つらそうな気配を見せたら自分に知らせるように」と頼まれていたからだ。

主席が再三促すので副官は書記のそばへ行った。
主席が自分の健康を心配して副官をよこしたことを直感した書記は「もう任務を忘れたのですか」と副官をたしなめ、主席のそばへ行くように促した。

ふたりの間に行き交う情の何と深いことか!

副官は、書記の言うように主席の健康を見守り、主席の言うように書記の健康も見守らなければならなかった。
ところが誰かが副官の肩を前の方に押しやった。振りかえると書記だった。
副官の腕を取り前に進み出た書記は、彼の耳元でこうささやいた。
「君が座る場所はここだけだ」

副官は込み上げてくるものを押さえ、元の場所へ座るのであった。



主席は昆明での出来事を、後日なんども回想した。

1989年11月6日、中国訪問のとき北京の釣魚台迎賓館ではこう語った。

「私と会ったことのある他の国の国家首班たちや著名人士をはじめとする多くの人たちは、私のことを非常に健康だと言っています。
事実私が今まで健康な体で祖国と人民のために仕事をすることができたのは、金正日組織担当書記のひとかたならぬ温かい心と思いやりがあったからです。
私の健康にたいしもっとも関心を払っている人は、金正日組織担当書記です。
書記は私の健康のために必要ならば、空の星でも取ってくるでしょう」

金日成主席の生涯には、美しい追憶で彩られた思い出が空の星のように無数にあるだろうが、この事をしきりに回顧するのはなぜなのか。
それは主席の健康のために尽くした書記の献身的な努力が、涙ぐましいまでに犠牲的だったからだ。

金日成主席の健康のためならば、自らの健康を省みることなく犠牲になる無比の犠牲心。これは書記の天分である。

 
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