一人で明かした夜〜空のコーヒーポット〜
 
 
1965年4月9日、金正日(김정일/キムジョンイル)書記が金日成(김일성/キムイルソン)主席とともにインドネシアに行ったときのことである。

平壌飛行場を後にした特別機は中国の昆明に到着すると、飛行場から迎賓館へ到る沿道には数万人の市民たちが晴れ着を着て、太鼓や銅鑼を叩きながら主席を熱狂的に出迎えた。

迎賓館に到着した書記<は、主席の健康が非常に心配だった。出発の数日前に主席はインフルエンザにかかり、治りはじめた症状がオープンカーで迎賓館に来る間の冷たい風で再び悪化したからだ。
宿舎に入った主席は悪寒によって体がひどくだるそうだった。医者から主席の健康状態を聞かされた書記の気持ちは重かった。
>BR> この日の夕、中国側は主席の昆明到着を歓迎して盛大な宴会を準備していた。
中国側のありがたい誠意だったが、書記は主席の健康状態からその誠意を受けることはできないと判断した。
幹部を側に呼んだ書記はこう語った。

「主席はここを訪問するのではなく通過するために立ち寄っただけだから、中国側が準備した宴会に参加せずとも失礼になることはないようです。儀礼格式に必ずしもこだわることはないでしょう。・・・すべての儀礼行事を主席の健康を守るのに服従させなければなりません。主席が宴会に参加できないことを中国側に知らせなければなりません」

幹部はすぐに中国側の同志と会い、ありがたい誠意を受けることができないどうしようもない事情について説明した。昆明市党の責任者は、誠意を表す事ができないことを非常に残念に思いながらも、このように尋ねるのであった。


尊敬する金日成同志は同意されましたか?」

「主席は体が不自由であろうとも、中国の同志の有難い誠意を拒むことは失礼になると言われました」

「では誰がこのような決断をされたのですか?」

「主席の身辺に責任を負っている我らの若い司令官です」

「少し前この市にある大統領が立ち寄ったことがあります。儀礼格式に沿ってぜひ参加してほしいとの私たちの要望を受け、補佐官たちは大統領とともに宴会にやってきました。宴会に参加してみると大統領は高熱に苦しんでおり、私たちの心も重くなりました。ほんとうに朝鮮の同志たちは自分の領袖を守るのに模範的です。」


真心のこもった打ち明け話に、儀礼行事を主席の健康に服従させたこの日の決断は、外交慣例上前例のないことだろうと思われた。



幹部が迎賓館に戻ると夜のとばりが落ちはじめた。主席の寝室の明かりが消えているのをみると、主席は高熱で休んでおられるようだった。
応接室では書記が安楽椅子に座っており「疲れるから早く行って寝なさい、私が疲れたら起こすからその時に交替しましょう」と言った。
「私が書記に代わって応接室で夜を明かします」と言うと、書記は彼の肩に手をやり部屋の方向へ押し戻した。
仕方なく部屋に戻った幹部は、応接室で一人夜を明かしている書記のことを案じながら、ソファーに身を横たえた。

−何時だろうか?!−

眠りから覚め、時計を見ると午前2時だった。
しまったと思いつつ、そろそろ応接室に近寄りそっと扉を開けると、夕方と同じ場所に書記は座っていた。
いま主席の体温を測ったばかりの体温計を見つめていた書記は、扉を開けて入ろうとする幹部を見つけると「静かに」と指を唇にやり、足音に気をつけながら廊下に出てきた。
幹部が交代しにきましたと言うと、書記は少し前に交替したばかりですと言って「部屋に戻ってゆっくり休みなさい」とまた肩を部屋の方に押した。

後で分かったことでは、このとき書記は全力をふり絞って眠りをこらえていたという。
部屋の中をぶらつけば眠気を追い払うこともできるが、足音を立てれば高熱に苦しみようやく眠りについた主席が目を覚ますのではないかと心配して、そのまま座っておられたのである。

森羅万象が眠りについた深夜、積もりに積もった疲労を打ち払いながら安楽椅子で夜を明かすというのは拷問に等しいことだった。
金正日書記は固い意志でその「拷問」に打ち勝ち一晩を明かした。

午前3時半、眠りから覚めた幹部が驚いて応接室に飛んでゆくと、これまで朝までぐっすりと休んだことのない金日成主席はベットの上に起き上がっていた。
主席はすでに医師の診察を受け、書記は応接室を行ったり来たりしながらその結果を待っていた。
長い夜を一人で明かした書記の前にとても顔を出すことのできなかった幹部は、うなだれたまま応接室を見つめていた。そして目を疑った!

大量のコーヒーが入っていたコーヒーポットの底が見えたのである。

コーヒーポットを片づけ忘れたために、昨夜の「秘密」がばれたことを知った書記は、この事を「秘密」にしてくれと言いながらポットを片づけるのだった。

 
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