Goods Column, 21


カリブの島のテニスラケット

MADE IN ST.VINCENT
今年のUSオープン・テニスの開幕直前の2003年8月25日、ピート・サンプラスが引退を発表した。USオープンで5回、ウィンブルドンでは7回もの優勝を果たした彼は、1990年代最高のプレイヤーといってさしつかえないであろう。「キュウリのように冷静」(注1)と評されるほどの無表情な顔で、超ハイレベルのプレイをこともなげにこなす。その圧倒的強さゆえに「退屈な王者」とさえいわれ、正直いって私もあまり好きではなかったけれど、いざ引退となると寂しいものだ。さて、そのサンプラスがジュニア時代からずっと愛用していたラケットは、ウィルソンのプロスタッフというモデルだということは、たいていのテニスファンはご存知と思う。1982年発表でとっくに生産中止になっているこのラケットは、現在の最新ハイテク・ラケットに比べると旧態依然としていると言わざるをえない。しかしサンプラスほどのプレイヤーがこだわりつづけたのには何か理由があるはずで、実際これがなかなかいわくつきの代物なのだ。前述のようにプロスタッフのオリジナル・モデルはすでに生産中止になっているのだけれど、マイナーチェンジをくり返し、生産国を変えながら、プロスタッフというモデル名は今もなお残っている。プロスタッフの現在のモデルは中国製で、その前が台湾製、サンプラスの初期モデルはというと、MADE IN ST.VINCENT である。この聞きなれない、ST.VINCENTとはカリブ海にあるセント・ヴィンセント島のことで、18世紀からずっとイギリスの統治下にあり(1979年に独立)、総面積は389平方kmで人口は約11万人、主な産業はバナナの輸出という小さな島だ。かつて関税面で有利だという理由から、ウィルソンはこの島でテニスラケットの工場を操業していた。ここでのラケットの製造工程はほとんどが手作業であり、その結果、機械生産では得られない独特のフィーリングが生まれたのだという。

この話を裏付けるかのように、今年の春頃にウィルソンからプロスタッフのニューモデルが発表された。"St.Vincent Process"と銘打ったそのラケットは、中国製ながらもヴィンセント時代の製法(注2)を忠実に再現したのだという。なるほど、見た目もフェアウェイ風のレザーグリップをはじめ、オリジナルを彷彿とさせる。しかもサンプラス自身もこのラケットの開発にかかわり、ツアーで使用する予定だったらしい。サンプラスはこれまでに何度かプロスタッフのニューモデルが出るたびに試しては、いつもヴィンセント・プロスタッフに戻っていた。それがついに彼も認めるニュー・プロスタッフができた矢先に引退、というわけだ。公式試合で彼がこのニューモデルを使う姿を見ることができなかったのは、残念な限りだ(注3)。

Wilson Pro Staff
このようなエピソードを持つヴィンセント・プロスタッフは、現在ヴィンテージ・ラケット市場で高い人気を保っている。実はかくいう私も、ヴィンセント・プロスタッフを持っている。私の場合は約15年ほども前、当時もっとも好きだったプレイヤー、ステファン・エドバーグが使っていたのに影響されたクチで、これで自分もエドバーグのようなスピンサーブが打てるようになるかと期待し、かなり高価だったのを思い切って購入したのだけれど、週末テニスプレイヤーで腕がともなわない私にはすっかり宝の持ちぐされであった。このラケットは現在の基準に比べると、狭いスィートスポット、重くて硬いフレームなど、明らかに人を選ぶ。それだけに、たまに芯を食ったフラットボールを打てたときの快感は何ともいえないのも確かではあるけれど、、、。そんなわけで、現在は妻のお古のラケット(注4)をもっぱら使い、プロスタッフはケースに入ったままである。ヤフオクで程度のいいヴィンセント・プロスタッフが10万円くらいで落札されたのを見たりすると、自分も売り払ってニューモデルに買い換えようかと何度も思ったりもした。しかし、最新プロスタッフもショップのレンタルで使ってみたけれど、「使いづらい」という特徴はしっかり受け継がれているものの(笑)、フレコミほどオリジナルに似ているとは感じなかった。それにサンプラスが引退した今は、やっぱり、なんとなくもったいなくて、手放す気になれないのだ。[2003/9/24]

注1: いつか、サンプラスと対戦して敗れた選手が "He was cool as a cucumber." とコメントした。
注2: リボン製法と呼ばれる「編み込まれたカーボン繊維の筒を2つ重ね合わせたダブルブレード製法で成形されたフレームの回りを更にカーボン繊維でラップする」という工程がヴィンセント以降のプロスタッフには省略されていたとのこと。
注3: 今年のウィンブルドンで優勝したロジャー・フェデラーがこのニューモデル= Wilson PRO STAFF TOUR 90 を使用していますね。
注4: このお古にしたところで、もう10年以上前の元祖厚ラケ、ウィルソン・プロファイルである。新しいの欲しいなあ(笑)。

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