伝 説
知られざる生涯の全部(の一部)の話を綴る



ヤクタタズの伝説はこのように語り継がれる・・・

実は、十二支にヤクタタズが無いのは、ネズミに騙されたからである。
ノストラダムスの予言によると、ヤクタタズが産まれるのは、1928年の事らしい。
1906年に、南極の氷の中で隕石に付着したヤクタタズの細胞片が発見される。
ヤクタタズは、ある実験の唯一の成功例としてこの世に生を受けた。
ヤクタタズはスペランカーの主人公としてこの世に生を受ける。
14歳の誕生日、クラシックバレエを習い始める。
そして15歳のときにニュータイプの力に目覚めた。
銀河の大部分が専制主義の下に征服される時代、ヤクタタズは共和主義の最後の担い手として仲間とともに抵抗を繰り返した。20歳のことである。
実は、この時期の大国間の軍事バランスはヤクタタズの手によって保たれていた
23歳の春、裏庭で幻の「ミュウ」をゲットし、ポケモンマスターにまた一歩近づく。
25の時、水中モードになる。
ヤクタタズは白髪を三つ編みにした男を「師匠」と呼んでいた。
でも壊れるのは一瞬だった。
簡単に餌付けされるので有名だった。
25歳の時、東の元締めヤクタタズ氏と呼ばれるようになる。
このころ、ホッケーをしていて膝を痛め手術を受ける。 なぜか370個のフジツボが膝の骨にはえていたそうな。
ヤクタタズはネタベンダーとしてよいこのみんなに親しまれていた。
26歳にして出家する。
稀代のスナイパー、デューク・ヤクタタズとして活躍。スイス銀行のお得意様だった。
ヤクタタズ26歳の時もよくたれていた。
得意技はマヨネーズまるごと一本一気のみだった。
29歳の時免許がゴールドになったが、まだペーパードライバーだった。
この頃はヒロシマ型原爆を体内に埋め込んでいたので、004担当としてギルモア博士から目を付けられていた。
42歳のある日、「東西南北中央不敗」と自称するが実際は「変態おさげジジイ」と呼ばれる。
ヤクタタズは世界三大珍味の一つに数えられていた。
45歳で株式会社ヤクタタズを設立し、世界的に有名になる。
下着姿でチョモランマ登山を敢行したのもこのころである。
このことはノストラダムスの予言にも記されている。
頂点に達した怒りが「スーパーヤクタタズ」を産んだ49歳の春。
52歳にしてついに目からビームが撃てるようになった。
62歳、「たれヤクタタズとゆかいな仲間たち」にレギュラー出演。
70歳、バイエルを終了。
花も恥じらう、78の春、大宇宙からの声を聞き、弟子7人とともに旅に出る。
94歳の時に、調子にのってCDを自費出版。勢いはあったはずだが、ただの恥さらしとなる。
ムクムクと名乗る赤マントのムササビを探して街道ぞいに歩き回るも、結局発見ならず。グッドEDを断念する。
幕府転覆を画策するが、その実体は先の副将軍であった。
ヤクタタズはよく「やりやがったな」「この野郎」「せっかくだから」という言葉をこよなく愛用したという。
このころ変な語尾の友人が増える。
そしてある日ヤクタタズは、狂王トレボーから魔除けを奪いダンジョンB10Fに逃げ込んだ。今でも魔除けを奪還しにくる冒険者たちと毎日戦い続けているらしい。
ちなみに、ファミコンなどがバグった時にカセットと本体の結合部に息を吹きかける、という習慣はヤクタタズが作った。CDを冷凍庫に入れると音質がよくなる、というのはヤクタタズが発見したと思われがちだが、間違いである。
こうして、十二支に選ばれなかったヤクタタズは、鼠を追いかけるようになったのです。



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