至真

人の幸福と繁栄は、
社会の人々の信用によって得られるものなり。
他人(人)の信用を得んと欲せば、
まず、第1に、
父母に対する考順愛敬の真心を至すべし。
考順なる者は、
不孝不順の者を登用し、地位与うるば、
もとより父母の恩義すら知らざる者ゆえに、
やがて、私欲のために秩序を乱し、
目上、朋友、家族をすら平然と裏切り
人々に多大の損害を与え、 事業はもとより、
国家崩壊の原因をつくること多し。
ゆえに、見識ある指導者は、
不孝不順の者に対しては、
いかに功労、学識才智が勝れていても、
祿を与えて愛すれども、
敢えて、地位を与えて重用せざりしは、
正に、先見の明ありというべし。
むかしより、
父母に対する孝順愛敬を推奨したのは、
孝順の人は心がやさしく質素にして、
家族の信頼と尊敬をうけ、
必ず、隣人、朋友に信義篤(あつ)く、
弘量(こうりょう)の恩義に報い、
事業はもとより、
国家社会の繁栄」に貢献するのみにならず、
広く人類同胞の平和と繁栄のために、
必要欠くべからざる
有徳の人材なりしためなり。

孝順の人は、
むかしも今も、極めて少なきものなり。
むかしより、
親が子を愛し。とする教義なし。
なにゆえ、父母孝順の教義ありや。
親が子を愛するは、
禽獣(きんじゅう)すら行う自然の情なるがゆえに、
殊更(ことさら)に、教義を必要とせざりし所以なり。

一方、子が親に孝順するのは、
自然の情動的本能に逆らうものにして、
くどく、やかましく、
教え、導き、尊(たっと)びて、
ようやくにして行われるものなり。
この故にこそ、
むかしより、孝順愛敬の誠を教えずして、
愛社心、愛国心を世人(せじん)に期待するは、
晴天の霹靂の如き
偶然の奇数を期待する難事なりというべし。
衣食足りて礼節成ると信ずるなかれ。
もとより衣食不足しては礼節の成らざるも、
粗衣粗食にも感謝の心生す。
しかれども、
衣食足りても徳育徳行を奨めなければ、
美衣美食にも飽きて不平不満が生じ、
感謝の心はもとより礼節も失い、
社会秩序が乱れるのも自然の情なり。

人間が万物の霊長として尊ばれる所以は、
父母に対する孝順愛敬と、
天地万物に対する感謝報恩の精神と、
礼節を弁えるところなれども、
これも、人間の自然の情として、
教義を疎かにして、徳育を怠たれば、
たちまちにして世が乱れ、
一代にして禽獣の世に陥ることは、
正に、必然の道理と知るべし。

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