幸福との本(もと)

この世で最も愛重するは吾が身なり。
吾が身を愛重するあまりに、
人々から恨みをかうことあり。
目上の人に反逆することあり。
父母の深恩を忘れることある。
かくの如く、愛重する吾が身は、
父母ありて、はじめてあるを知るべし。

幼児の頃は、
片時も父母より離れず、
父母の懐中にありてはよろこび、
別人抱き去れば、たちまち泣く。
三、四歳頃は、
父母の手にうがりて泣き、
父母を見失えば、泣きわめいて探し求む。
学校を卒業するまでは、
飢えれば父母に食を求め、
寒ければ父母に衣服を求め、
吾が身の知識、教養と、娯楽のために、
父母に金銭をねだるも、
吾れは不勉強にして、
ついに、父母の期待にそうことを得ず。
されど、父母の深愛は寛容にして限りなく、
質素倹約にして苦労を厭うことなし。
人の中には、
成人して吾が身に自活の力を得て、
妻を娶り、
夫に嫁すに至りて、
次第に、父母に隔てを生じ、
父母を邪魔者扱いにし、
喧嘩口論して仇敵視する者あり。
父母の心情哀れむべし。
不孝順は第一等の悪事と知るべし。

健考の妻子にめぐりあえば、
一家の幸福繁栄はこの上なく、
もし、不孝順も妻子にめぐりあえば、
朝夕に老いたる父母を批判、詮索し、
家族の喧嘩、口論は絶えることがなく、
一家の不幸、荒墟は、
ついに改まることなし。
これ偏(ひとえ)に、吾が不孝順なるがゆえに、
かくの如き、不孝順の妻子にめぐり合うなり。

顧みて思うべし。
吾にかつて妻子なし。
吾れを懐抱せしは何人(なんびと)ぞ。
吾れに衣食を与えしは何人ぞ。
吾に教育つけしはなんびとぞ。
吾れによき友あるは、
父母の愛育教養の賜なることを知らざるか。
父母の恩愛を知らざる者は、
正に、良心滅し尽くして禽獣に如かず。
吾が身に来る一切の天嶮(てんけん)、災殃(さいおう)は、
不孝不順より来ると知るべし。
父母に背きて妻子に考順を求めるは、
月を求めて水をつかむが如く、
麦を蒔きて米の収穫を楽しむが如し。
父母この世を去りてのち、
父母の霊前の珍膳嘉肴(ちんぜんかこう)を供えても、
父母これを見ず。
父母生前中の不孝不順を追悔するも
及ぶことなし。
深い悔悟(かいご)を反省し、
亡き父母の菩提を弔い許しを乞うほかなし。
父母を失いて、
父よ母よと泣きてすがるその手があれば、
生ける中に真心こめて肩をもみ、
つかれた足をさするべし。
父よ母よと泣きてさけぶ声あれば、
生ける中に吾が心をやわらげて、
やさしさ、なぐさめの言葉をかけるべし。

不孝順の子は、生涯、不倖にして、
天嶮(てんけん)を免れることなきは、
世に多く、その例を見るところなり。
吾が子の幸福を願わば、
必ず、孝順の子を育てるべく教化すべし。
父母孝順は吾が子への最大の遺産にして、
第一等の善事と知るべし。
人に善悪を判断する知識教養ありとおいえども、
必ずしも、善を行い、悪を避けるべき、
特性ありとは限らず。
吾が子の心身健全を祈り、
特性を与えんと欲すれば、
吾等まず教義を学び、
夫婦相和して祖先を崇拝し、
父母に孝順愛敬の真心を尽くして、
吾が子に祖先拝と、
孝順、敬老の行いを感得せしむべし。
家庭こそ、吾が子に対する
徳育強化の拠点なることを認識し、
吾が子の徳育を他人に頼りて、
不孝不満を云うべからず。
これ即ち、
賢考にして健全なる家庭にめぐりあうべき、
最善にして、唯一無二の本(もと)なり。

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