−臍帯観音山道院の歴史−

宗教法人認証:昭和52年9月17日 和歌山県

代表役員:三田 教夫(東明)
 ・昭和8年11月27日 和歌山市新留町に生まれる
 ・昭和43年 今東光和尚の門下生となる
 ・昭和52年 宗教法人 臍帯観音三道院 設立
 ・昭和53年 錬成道場 東明館 設立

観音様を世に出した人三田東明の思想
臍の緒は、命の原点であり、祖先に直結するもので、人間の現世の肉体と後世を結ぶものである。手を合わせる対象としては最もふさわしいものである。
しかも全ての人間に、その肉体の真ん中に平等に与えられているもので、そこには何の区別も貧富の差もない。何百年たっても臍の緒は生きているのである。
自分は、天地の恩・親の恩・師の恩・社会の恩を忘れることなく、日々の生活に感謝し歩まなければならない。

教祖:井上 コウ
  文永3年8月12日生まれ

 大阪府南河内郡千早村の高山家の一人娘で、少女のころに稲荷の神霊が降臨したという。美しい顔立ちで利発な娘で手先も器用だったため、近くの「取りあげ婆さん」の手伝いをしているうちに産婆となった。
子供の頃から信仰心も深く、高野山にも修行をかねてたびたび参詣していた。幾度目かの高野山詣りの時に、コウを見初めた井上万之助と結婚に至り新居を(現在の臍帯観音三道院の祀られている場所)構えた。
コウは井上家に高山家に伝わる観音の石像をもってきて、庭に小さな祠を建てて祀っていた。 それが三田東明と井上須磨子(コウの孫娘)により扉を開かれるまでひっそり納められていたのが母子観音像(臍帯観音)である。
神霊が降臨するコウ(霊能者)に頼る悩み多き人は、決して少なくなく、頼まれれば相談にのっていた。だが、その一方ではこのような能力のあるものを「狐つき」として敬遠する傾向もあった。
コウは孫娘の井上須磨子に「1000人の相談者を助けたら霊が降りないようにしてくださいと神様にお祈りをしていた。すると1000人を数えた時から霊が降りなくなった」と語ったという。


参考文献:「佛心・臍帯観音と三田東明」(非売品)
著者:中藤 保則

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